「風を待つ」から感じたこと
もはやロストテクノロジーとも、オールドテクノロジーともいえる、「ウォールオブサウンド」をどうしてこの時期、2ndシングルの表題に持ってきたのか?その意味をずっと考えてきた。
もともと、当時の技術の限界に対する応用(ほとんど苦肉の策w)としてフィルスペクターが編み出した(とされる)「ウォールオブサウンド」は、トラック数においては(理論上)無限大にまで拡大させることが可能となったいま、特段の有用性はない。それに、いまにおいては「それっぽい録り方」をしているだけなのであって、なにも実際に演奏者を大勢スタジオに詰め込んだり何回も重ね録りするわけでもない。あくまでパソコン上で「それっぽく」作るだけなんだけど。
それでも、そうやって曲を作ってみせることにどういう意味があるのか?この曲を聴く人たちにどういうことを伝えたいのか?そんなことを広島ゲバントホールからの帰り道、遠回りしながらずっと考えていた。
続きを読む#秋元康カルタ 自分も真似してやってみた
この方のブログはとても面白くてためになってほんとにいつも楽しく拝見させていただいております。あまりによくて共感してしまったので自分でもついやってみたくなりました。
せっかくなので50音考えてみました。秋の夜長に #秋元康カルタ 考えてみませんか!!!https://t.co/9BSOuxvYQ7
— まき (@sinkin_ship) 2018年11月19日
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「暗闇」と「少女邂逅」
〇「少女邂逅」
8月に元町映画館に「少女邂逅」を見に行きました。「超能力研究部の3人」以来、この劇場に足を運んだのは何年振りだろうか。この日は神戸における公開初日でもあったので、枝優花監督の舞台挨拶もありました。偶然にも同じ日にメリケンパークでSTUのメンバーのライブイベントがあったのですが、西日本豪雨災害の募金だけを済ませて急いで元町へと向かいました。
今日の時点でもう既に「少女邂逅」は話題の映画となっていました。新宿武蔵野館での上映は、期間延長の繰り返しにつぐ繰り返しで、結局当初予定を大幅に超えて2か月間も上映されました。異例とのことです。(その後も渋谷に場所を移し、さらに阿佐ヶ谷、そして全国へとスクリーン数が増えていってるみたいです)
今年1月からSTU48のファンになった自分としては、枝優花監督をずっと追っていたので、まずこの映画が香港で、次いで上海で大きな話題を呼んだことは知っていました。特に現地の若い女性からの反響が大きかったようで、枝監督にサインを求める人の長い列や、映画鑑賞後に「少女邂逅ごっこ」に興じる女子のカップルの写真を見たりして、いったいどんな映画なんだろうと強く興味が惹かれました。
東京で封切されたあと、SNS等で鑑賞後の感想などが流れてくるのですが、みなさん慎重にネタバレしないように言葉を選んでいるのですが、ただしエモーションはダダ漏れ笑。ますます興味がわいてきました。(あと、みんなクリームソーダ飲み過ぎw)
枝監督って、熱心な齋藤飛鳥ファンにとってはViViで飛鳥ちゃんの撮影をした人としても知られていたらしいのですが、自分の中では、STU48に導いてくれた「暗闇」、その「暗闇」のMVを撮影した人という認識です。その監督さんが、クラウドファンディングで自ら資金調達をし、完成にこぎつけた作品。国内で話題になるよりも前に海外の映画祭に招待をされ、大きな喝采を得た作品。そんな「少女邂逅」に期待を抱かないはずがありません。(「花の94年組」なところも大変注目)
さて、実際に映画を見た感想なのですが、やや難解です。いや、難解は間違い。たぶん、見る人によって答えとか感想が異なる映画。境遇とか生活歴。社会的、生物学的、嗜好的、とにかくいろんな性差。言葉にするのがとても難しい。わかりやすく「思春期の少女とは斯くも美しく、しかし残酷で、時を切り刻みながら」なんて言葉を使うのが陳腐すぎてダメ。濃密な物語。あの映画のラストはどういうことだったんだろう?、ずっと謎なんだけど、謎のある人生を与えてもらってちょっと満足だったりもする。
各種の解説にもあるように、枝優花監督自身が中学時代に実際に体験した「いじめ」が、その「いじめ」により一時的に声を失ってしまったこと、そうしたことが作品のモチーフになっているとのことです。ここでどうしても思い出してしまうのは、実は「暗闇」MVの中で描かれている世界も、枝監督の実体験がもとになっているということなんです。「暗闇」の場合は高校時代に感じていた悩みや不安、葛藤などを描いたということになっているのですが・・・・・
〇「暗闇」
濃淡はあるとしても、どちらも監督自身の実体験に拠る物語。それは確かにそうなんだけれど、映画を見おわったあと、どうしても濃淡の開きが大きい、大きすぎることが気になって仕方ありませんでした。あまりに濃密な「少女邂逅」に対して、一方、「暗闇」MVが淡泊にすぎるのではないか、そこが気になって気になって仕方なくなってしまいました。映画とMVだから違うの当たり前なんですけど、ここまでしっかりと見せ場や盛り上がり、構成を作ってる人が、その同じ人がなんで「暗闇」では?と思ってしまったわけです。
「暗闇」MVに導かれてSTUに来た自分なので、当然「暗闇」は大好きです。まず大好きな大三島(と伯方島)が舞台であること。大三島、瀬戸内の魅力をあますことなく伝え、表現している「暗闇」MVが大好きです。個人的に以前から何度も訪れている場所にもかかわらず、1月に発売された後も既に何度も大三島を訪れています。コロラド州からやってきたファンを案内したりもしました。第二のふるさと言っても言い過ぎではない大切な場所、大三島。全編を通して大三島の自然、美しさを伝えるこのMVはほんとに素晴らしいものだし、このMVを見てしまなみ海道を訪れた人が多くおられると思います。
〇「演技に関するワークショップを3回させていただいた」
3月17日放送のAKB48SHOWで、枝監督はこのように述べておられます。また、メンバーの特徴、個性をいちはやく掴むためにメモをとったり(メンバーの特徴の捉え方がさすがだなあと思う。的を得てるし、納得。特に瀧野)。放送の中でどのメンバーも口をそろえて、「演技」「お芝居」「ストーリー性」という言葉を述べていていることもあわせて、実は、このMVってほんとうはもっと女の子の、或は思春期のもっと濃密な物語を描いていたのではないのかなあ?と疑問を抱くようになったのです。例えばそれは乃木坂46のMVでよく見られるような。
(※枝優香監督のTwitterより)
まず3回もワークショップをやることって、(自分にはわからないことだけどそれにしても)普通は無いように思う。それに合わせるように、メンバーの意識がお芝居にぐっと近づいていってることが放送を見ててすごくわかるし。ところが、完成した「暗闇」MVが描いていることって、徹底して「瀬戸内の美しさ」なんです。これは「暗闇」に限ったことではなくて、「瀬戸内の声」「思い出せてよかった」「ペダルと車輪と来た道と」、(「夢力」はCGB41)、すべての楽曲のMVにおいて共通していることは、「瀬戸内の美しさ」が全面に押し出ている、ということです。STU48の成り立ちから考えて、それは当たり前すぎることなのですが・・。
「暗闇」でのメンバーの演技や、枝監督の持っていきたい方向性ってどういうことだったのだろうか?「暗闇」MVに関する満足と疑問、そんなことが念頭にあった中での「少女邂逅」の鑑賞だったので、頭をガツンとやられたというか、むしろどんどん疑問が膨らんでいったのです。
〇映画が終わって、監督に直接質問してみた
映画が終わったあとサイン会があったので、思っていたことを直接監督に質問してみた。
「監督、自分はあれってほんとはもっと膨らみのあるお芝居が構成の中心にあって、でも、結果としては自然美とか地域のPRがすごく前に出ていて、やっぱりせとうちDMOかどうかわからないけど発注側の意向ってすごく大きかったんじゃないのかなと思ってるんですけど。」
と、なんともいきなりぶしつけな質問をしてしまいました。(ほんとごめんなさい)
もちろんこの種の質問に正面から答えてくれる人などいません笑。質問を受けた監督の反応は、とてもびっくりされた様子で、「えぇぇーーー、xxxxxxxxxかー」。ちょっと直接の言葉は記載ができないのですが、大変びっくりされてたように思います。でも、意外とたくさんお話しいただけて、要約だけ。
①いろいろと「大人の事情」はあった
②現場ではいっぱい喧嘩した
③なにより「暗闇」は、あの子たちのデビュー作だった。デビュー作だったことが大きい。
想像ですけど、監督さんの「作家性」よりも「瀬戸内の魅力を全国に発信する」ことが優先されたのかなと思ってます。自分の場合、乃木坂46のファンで、クリエイターの作家性とメンバーの個性が混ざり合う、そこから生まれる魅力に憑りつかれていたところがあるので、まだそういう癖が残っているのかもしれない。繰り返しになるけど、「暗闇」MVに不満はない。ほんとにありがたい、宝物のような存在。けど一方で、枝優花が指向したであろう「暗闇」とはほんとはどんなものだったのだろう。そこの興味も尽きない。今回、「少女邂逅」という作品に出会わなければ、心に突き刺さるような気持ちを抱くことがなかったならば、こんなふうには思わなかったはずです。こんな映画体験をしたことははじめてかもしれない。
「少女邂逅」から膨らんだ妄想におつきあいいただきありがとうございました。枝優花さんとSTU48が「邂逅」を果たしてくれたことが何より最大の喜びであり、メンバーにもファンにとっても収穫だったのではないでしょうか。その後、枝監督はまた広島に来て、メンバー全員の総選挙ポスターの写真も撮っていただきました。どうかこれからもSTU48と永く関わっていただきたいと、一人のファンとして思います。これからの作品も追いかけていきます。ありがとうございました。
〇まとめ
ゆみりんかわいい
(だいせんせ)
高橋栄樹作品におけるロイド的風景
『「センチメンタルトレイン」MVの甲子園会館に行ってきた①』がまったくセンチメンタルトレインにならなかったので笑、いま②を書いているのだけど、やっぱりこれもセンチメンタルトレインにたどり着けそうになかったので笑、ちょっとだけタイトルを変えてみた。
〇高橋栄樹作品におけるとロイド的風景
①「いつかできるから今日出来る」(乃木坂46)
栃木県真岡市 久保講堂(設計:遠藤新)
②「大人列車」(HKT48)
東京池袋 自由学園明日館(設計:フランク・ロイド・ライト)
東京池袋 自由学園明日館(設計:フランク・ロイド・ライト)
東京池袋 自由学園明日館
⑤伊藤万理華主演 映画「記念日が行方不明」(映画「Anniversary」より)
東京池袋 自由学園明日館
(参照)
nogizakacommunity.officialblog.jp
⑥「センチメンタルトレイン」(AKB48)
兵庫県西宮市 甲子園会館(設計:遠藤新)
自分のわかる範囲だけでこれだけあるのだから、膨大な高橋作品の中できっとほかにもあるのだろうな、という気がしています。
ロイド建築に限らず、「おいでシャンプー」「言い訳maybe」の旧学習院初等科正堂だったり、また、「あわせカガミ」の中で鎌倉文学館が登場したり、高橋監督の作品には歴史的な建物がよく登場しますね。
常々、高橋栄樹作品に対する佐々木昭一郎の影響ということに着目をしています。
(参照)
nogizakacommunity.officialblog.jp
高橋監督はこのへんのところを明言されておられないのですが、ところが、最近では是枝裕和監督だったり河瀬直美監督が積極的に佐々木昭一郎からの影響などを語ったり発信されているように思います。いつか、高橋監督からも建築のことだったり、そして自分にとって永遠の名作「あわせカガミ」についてじっくりお話しを伺えるような機会があればな、なんて思っています。
ちなみに、「センチメンタルトレイン」MVの中で自分がいちばん好きなシーンは、ラストで、是枝裕和監督が撮った「桜の木になろう」のMVの中から、松井珠理奈の笑顔のシーンが挿入されるところです。
(だいせんせ)
「センチメンタルトレイン」MVの甲子園会館に行ってきた①
先日、「センチメンタルトレイン」MV(監督:高橋栄樹)のロケ地である、西宮市の甲子園会館(旧甲子園ホテル)を見学してきました。JR甲子園口から徒歩10分ほど、武庫川女子大学の敷地内にあり、HP上の見学カレンダーに沿って事前に予約をしておけば個人でも見学可能とのことでした。 自宅からアクセス容易な場所でもあったので、ふらりと行ってきました。
〇きっかけ
「センチメンタルトレイン」のMVは公開された直後に見ました。世間的には、不在のセンターがイラストやCGで描かれていることが話題になったのですが、自分はそのあたり完全スルーで、見た瞬間からその建物が大変気になりました。自分は別に建物とか建築に詳しいわけではないのですが、この建物は一目見て、よくテレビドラマや映画で登場している旧帝国ホテルのような建物だと感じました。実際、明治村に移築されてある旧帝国ホテルを以前に訪れたこともあるので、煉瓦?礎石?が横に横に積み重なるようになっていたり、建物の水平的な建築イメージから、これはフランク・ロイド・ライトの建築物に違いないと直感しました。大変印象的でした。ところが、実はライトの建築物はないということがSNSであっという間に判明してしまいました。ライトの建築物ではなくて、ライトの弟子である遠藤新(えんどうあらた)によって設計された、甲子園ホテル(現甲子園会館)であるということがわかりました。
〇甲子園ホテル
帝国ホテルのライト館は1923年に完成をするわけですが、当時の支配人であった林愛作がアメリカからフランク・ロイド・ライトを呼び寄せ、度重なる設計変更や、当初の6倍もの予算超過などの幾多の困難を経て、実に5年もの歳月を要してようやく完成をしました。そして、ホテルプロデューサーとして名を成した林愛作は、今度は関西に、同じ理念のもと、超高級ホテルの建設に着手します。ライトが帝国ホテルの完成を待たずに帰国していたこともあり、次は彼の高弟であった遠藤新が設計を担当します。遠藤は林のホテル理念、コンセプトと師のデザイン様式を忠実に表現し、1930年、甲子園ホテルを完成させます。
このように、両方のホテルには、表現様式が共通であること、ともに林の理念にもとづいて建てられたホテルであることなどから親子、兄弟のような関係にあるホテルということができます。実際に、当時は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と人々から並び称されていたそうです。
〇大大阪時代を背景として
甲子園ホテルが完成した1930年という年代から、なぜこの時期に甲子園ホテルが建てられたのか?なぜこの場所に?、自分は時代のダイナミズムを感じずにはいられませんでした。
大大阪時代(だいおおさかじだい)という時代が、大正末期から昭和初期にかけて存在していて、大阪における産業、芸術、文化などの繁栄が東京を凌駕していた時代、例えば人口において大阪市が東京市のそれを上回っていた時代がたしかにありました。ちょうど大阪で紡績業や鉄鋼業が栄え、それらに伴う経済の繁栄、地下鉄の開通や鉄橋の架橋、国道整備などの急速なインフラ整備と発展、今では考えられませんが、大阪(関西)がとどめ難いほどの勢いで経済興隆をなしていた時代がありました。先に述べた、帝国ホテルの完成に5年を要したのとは対照的に、甲子園ホテルでは完成に要した期間はわずか13か月です。特殊な調度品、什器、国産の製品規格等が未整備なこの時代にあって、これだけの大規模(そして特別)な建物がこれだけ短期間で完成できた背景に、当時の大阪の総合的なインフラストラクチャーの広範囲での充実ぶり、強固さを思わずにはいられませんでした。中之島図書館や中央公会堂、証券取引所など当時をしのばせる建築物のいくつかを見たことがありますが、この甲子園ホテルはちょっと特別だなあという思いを持ちました。ちょうど、モボモガと呼ばれた当時のハイクラスな人々の行き交う姿がすぐ目に浮かんでくるようで、まるでこの時代を疑似体験しているような気持ちになりました。
〇特徴
デザイン様式とかにはまるで詳しくはないのですが、旧帝国ホテルと同様に、建物のあちこちにアールデコの装飾が多く見られます。一般に、マヤとかオリエントとか言われているらしいのですが(エジプトとか)、よくわかりません。ただ、様式美として本当に美しく、惹かれるものを感じます。自分がはじめてフランク・ロイド・ライトの名を知るのは大学1年生のときの授業で、そして最初にロイド建築に出会うのは卒業後就職して最初の出張で訪れたNYでのグッゲンハイム美術館。あの近未来的な建物に触れたあとで考えると、いったいどのような契機でライトの作風は変化していたったのだろうとは思いましたが、そのあたりは一度建築に詳しい人に聞いてみようかと思います。とにかく、甲子園ホテルにおいては模様タイルとボーダータイルの組み合わせがただただ見事です!。そして、弟子の遠藤は師匠のスタイルを忠実に真似するだけではなくて、独自の和洋折衷様式も取り入れていると思いました。この天井の格子や欄間をイメージした壁の作りなど。
〇ホテルプロデューサー林愛作の理念
帝国ホテルと甲子園ホテル。見てすぐに気づくと思うのですが、両者の外観上の大きな特徴は「左右対称」になっていることです。このような左右対称になった建築物を見たとき、日本人ならすぐにイメージするのは宇治の平等院鳳凰堂だと思います。林愛作自身も、モティーフが平等院鳳凰堂であることを認めています。非常に感銘深いなと思うのは、日本が世界と向かい合い、世界に向けプレゼンスを高め駆け抜けていった近代というこの時代に、世界に通用するホテルをつくろうと奔走した林愛作その人が、「アイデンティティを日本に求めたこと」です。最初、林って人は洋行経験が豊富でその豊富な西洋知識からあくまで西洋におもねた、西洋風なホテルを作ろうとしたんだなと思っていました。ところが、今回実際に甲子園ホテルを見て、触って、歩いて、寝転んで(寝転んでません)感じたことは、ここは日本を感じられる場所だなということでした。水を使った、光を取り入れた、風の流れを感じるさまざまな空間演出に、お茶室(茶道)との共通性を感じました。これは体で、皮膚で感じるしかない。
林がこのホテルを通して発信しようとしていたものは、日本そのものであり、日本人の美意識なのではないかとも思いました。
〇まとめ
(「センチメンタルトレイン」とはまったく関係のない話しになってしまいました。)この建物は、国の有形文化財、近代化産業遺産に登録されているだけではなく、いまも武庫川女子大学の建築学科の校舎として、さらにオープンカレッジなど地域に住む人の生涯学習の場として、現役の校舎として活用されています。単なる歴史的建物として保存するのではなくて、社会に開かれた建築物として活用されています。そうしたところにも大変感銘を受けました。
見学を終えて感動がじわじわとこみ上げてくる帰りの道で、ようやく我に返り「しまった、本間日陽ちゃんがどこにいたかチェックするの忘れた」と思い出して少し後悔をしたような次第なのですが、ほんとうに、時代を造ろうとする人の思い(林愛作)、クリエイターの思想や哲学(ライトと遠藤新)や息遣いまで感じ取ることができるような、久々に深い思索の淵に自分を持っていってくれるような甲子園ホテル、そして充実した時間を与えてくれた甲子園会館でした。ありがとうございました。
(だいせんせ)