ある考察「君の名は希望」DANCE&LIP ver.

乃木坂46のライブで「君の名は希望」が演奏されなくなってから、すでに久しい。

グループの象徴のようであったこの曲も、メンバーとファンがごっそりと入れ替わった今では、少し位置づけも変わってきているのだろうか。

アイドルであれバンドであれ、グループで活動している集団にとって難しいとされているロールオーバーをここまで成功裏に収めたことは本当に素晴らしいことであるし、稀有な例である、と表現している人(著名な作曲家)もいる。

一方で、この曲で乃木坂46のことを知り、ここからファンになった自分のようなものにとっては、「君の名は希望」がグループから少しずつ遠くなっていく、そんなふうにも思えて一抹の寂しさを感じることもある。

変化は受け入れつつも、5期生の大活躍に大いに喜びつつも、実は心の奥底に否定とも肯定ともつかないような、複雑な気持ちを抱えている。

 

〇ある考察

もしかしたらこの先、「君の名は希望」はグループからさらにもっと遠い存在になっていくのかもしれない(それは乃木坂が健全な発展を遂げ、これからも成長しつづけていくという証左としての)。たぶん、そうなっていくのだろうと思いながら、いま、自分の記憶のなかからも消え去ろうとしているある考察を備忘録として書き残しておきたいと思った。

 

この曲のミュージックビデオに関する考察で、当時の仮めんばーの投稿欄に載り、とても印象に残ったものの、考証の内容や文章の難易度が高く、自分には追い付いていけないものだった。いったいどこのだれが投稿したのか、もちろんわからないし、同じ土俵に立って議論できる人もさすがに無く、議論もそれほど深まらなかったと記憶している。

 

今回、この投稿した人をAさんとし、Aさんの考察の骨子(ダンテの『神曲』)を自分が覚えている範囲で、少し自分の解釈も加えながら書き残していきたい。

その前に。

 

〇そもそも、「君の名は希望」のMVはなぜ2種類あるのか?

2013年3月13日に予定されていたシングルの発売に先立ち、2月18日に「君の名は希望」のMVが公開された。監督は「リンダ リンダ リンダ」の山下敦弘、25分間の超大作MVであった。この日偶然、自分は無料動画サイトでこのMVを見て、”なんじゃこれは?”とあまりのわけのわからなさに混乱しながら、いったいいつ曲が始まったのかも全然わからない!、けれどいつの間にやら勝手に泣いていた。観終わってすぐにもういっかい観直したらまた泣いた、それの繰り返しで、とにかくこれまで体験したことのないような映像体験と音楽体験をした。ここが自分の中の乃木坂のはじまりだった。

当時、これまでに例を見ないような、体験したことのないMVだった。


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ところが一方で、このMVに対して内心忸怩たる思いを抱いている人たちもいた(このあたりは後々になって各種雑誌のインタビュー等でわかってきたことなのではあるが)。当時の秋元康の方針と、加えて個人PVの制作のすすめ方等にも共通して言えたことは、製作者(クリエイター)に任せて運営サイドはその内容について細かな注文はしない、ということ。山下敦弘監督も秋元康から「すべてをお任せします」と言われて制作を引き受けたとインタビューで述べているし、MV以外の、個人PVでも各クリエイター(新進気鋭の若手が多かった)に任せることで、彼らが自由に才能を発揮できる環境を用意することで、そこから生まれた名作品、花開いた才能も多い。


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ただ、任せることがいつも良い方向に働くとは限らず、任せてはみたものの、自分たち(運営サイド)の期待している内容にそぐわないケースというのもでてくる。それが多少なのであれば許容もできるのだろうが、山下監督ver.の「君の名は希望」はあまりにもそれが大きかった。自分のようにな「すごく感動しました!」と高評価をつける人もいたのかもしれないが、察するに、「このようなMVでは曲の良さもメンバーの良さも伝えきれていないのではないか?」と危惧した人たちもいたのだろう。

とはいえ、MVは一つの作品にひとつ。これがだいたい普通(最近はそうでもないらしいが)。事の真相は完全に明らかになっていないものの、秋元康の肝いりで、”自由にやってもらって結構です”条件で制作した山下監督ver.を差し替えることは絶対に不可能、けれどもこの曲に賭ける運営側の意思(意図)も表明したい、こういうことから異例ではあるけれど、シングル発売からおよそ一週間を経て、「君の名は希望」MV DANCE&LIP ver. なるものがyoutubeで公開された。


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監督は丸山健志が務めているものの、自分の中ではこれは金森さんの考えが強く反映されたものと受け止めている。前置きが長くなったのだけど、記憶に残しておきたい考察というのはこのDANCE&LIP ver.に関する考察のこと。 

 

 

 

〇考察のおもな内容

 

2コーラス目

♪人の群れに逃げ込み、の場面から、扉のようなものが開き奥に進んでいくが

中がとても暗く、住人(オーケストラの人々)は目を覆っている(或いは目、或いは視覚を失っている)。メンバーも目を覆うようなしぐさをしながら中に進んでいく。

 


ラストサビ

♪真実の叫びを聞こう さあ

からのラスサビの場面で一転、照明が明るくなると同時にメンバーは

来た時とは進行方向を逆に進む

そして、センターの生駒里奈だけが、ある門をくぐる

 

・進行方向の矢印が示されている?ようなセット

・何か意味がありそうな?ゲート(門)

 


これらのことから、Aさんはこの場面はダンテの叙事詩神曲』の地獄篇に登場する地獄の門を描いているのでは、と考察したのです。

Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.
(汝らここに入るもの一切の希望を棄てよ)     ※山川丙三郎訳

暗い門をくぐり、希望を棄てて、何も見えないほどの暗い地獄の世界、或いは目を覆いたくなるなるような惨状が繰り広げられている地獄の世界で、”真実の叫びを聞こう”と声をあげ、踵を返し門の外に出ようとする乃木坂メンバー、その中でも、生駒里奈ひとりだけが門をくぐることによって、この門が象徴しているものを明確にしているのではないかと。

君たちの名は希望、ではなく「君の名は希望」なのだと。

 

Aさんの考察とは概ねこのようなものでした。

 

(個人の感想)

地獄の門説はとても面白いと思った。

世間の一般的イメージである、ロダンが『神曲』から着想を得て制作した地獄の門と比較して、このゲートはあまりに簡素すぎるので考察は間違っている、とするむきもあるかもしれないが、以前よりバイロイトなどでかなりコンテポラリーな方向で衣装もセットもガラリ変えてくるということは行われてきたので、荘厳で重々しい地獄の門がスラリとシンプルなものに変わるという演出は普通に有りだと思う。

 

演出の人に、そのような意図はまったくありません、と笑われるかもしれないが、いちど作家の手を離れた作品の解釈は見る人に委ねられると思うので、こういう解釈を出来る人がいること自体、乃木坂の世界とそのファンカルチャーは豊饒の世界だなといつも思う。

いつの?

どの?

だれの「君の名は希望」が好きですか?

                             (だいせんせ)

 

 

神宮行きたかったな、涙