「センチメンタルトレイン」MVの甲子園会館に行ってきた①

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先日、「センチメンタルトレイン」MV(監督:高橋栄樹)のロケ地である、西宮市の甲子園会館(旧甲子園ホテル)を見学してきました。JR甲子園口から徒歩10分ほど、武庫川女子大学の敷地内にあり、HP上の見学カレンダーに沿って事前に予約をしておけば個人でも見学可能とのことでした。 自宅からアクセス容易な場所でもあったので、ふらりと行ってきました。

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〇きっかけ

「センチメンタルトレイン」のMVは公開された直後に見ました。世間的には、不在のセンターがイラストやCGで描かれていることが話題になったのですが、自分はそのあたり完全スルーで、見た瞬間からその建物が大変気になりました。自分は別に建物とか建築に詳しいわけではないのですが、この建物は一目見て、よくテレビドラマや映画で登場している旧帝国ホテルのような建物だと感じました。実際、明治村に移築されてある旧帝国ホテルを以前に訪れたこともあるので、煉瓦?礎石?が横に横に積み重なるようになっていたり、建物の水平的な建築イメージから、これはフランク・ロイド・ライトの建築物に違いないと直感しました。大変印象的でした。ところが、実はライトの建築物はないということがSNSであっという間に判明してしまいました。ライトの建築物ではなくて、ライトの弟子である遠藤新(えんどうあらた)によって設計された、甲子園ホテル(現甲子園会館)であるということがわかりました。 

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〇甲子園ホテル

帝国ホテルのライト館は1923年に完成をするわけですが、当時の支配人であった林愛作がアメリカからフランク・ロイド・ライトを呼び寄せ、度重なる設計変更や、当初の6倍もの予算超過などの幾多の困難を経て、実に5年もの歳月を要してようやく完成をしました。そして、ホテルプロデューサーとして名を成した林愛作は、今度は関西に、同じ理念のもと、超高級ホテルの建設に着手します。ライトが帝国ホテルの完成を待たずに帰国していたこともあり、次は彼の高弟であった遠藤新が設計を担当します。遠藤は林のホテル理念、コンセプトと師のデザイン様式を忠実に表現し、1930年、甲子園ホテルを完成させます。

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このように、両方のホテルには、表現様式が共通であること、ともに林の理念にもとづいて建てられたホテルであることなどから親子、兄弟のような関係にあるホテルということができます。実際に、当時は「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と人々から並び称されていたそうです。

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大大阪時代を背景として

甲子園ホテルが完成した1930年という年代から、なぜこの時期に甲子園ホテルが建てられたのか?なぜこの場所に?、自分は時代のダイナミズムを感じずにはいられませんでした。

大大阪時代(だいおおさかじだい)という時代が、大正末期から昭和初期にかけて存在していて、大阪における産業、芸術、文化などの繁栄が東京を凌駕していた時代、例えば人口において大阪市東京市のそれを上回っていた時代がたしかにありました。ちょうど大阪で紡績業や鉄鋼業が栄え、それらに伴う経済の繁栄、地下鉄の開通や鉄橋の架橋、国道整備などの急速なインフラ整備と発展、今では考えられませんが、大阪(関西)がとどめ難いほどの勢いで経済興隆をなしていた時代がありました。先に述べた、帝国ホテルの完成に5年を要したのとは対照的に、甲子園ホテルでは完成に要した期間はわずか13か月です。特殊な調度品、什器、国産の製品規格等が未整備なこの時代にあって、これだけの大規模(そして特別)な建物がこれだけ短期間で完成できた背景に、当時の大阪の総合的なインフラストラクチャーの広範囲での充実ぶり、強固さを思わずにはいられませんでした。中之島図書館や中央公会堂、証券取引所など当時をしのばせる建築物のいくつかを見たことがありますが、この甲子園ホテルはちょっと特別だなあという思いを持ちました。ちょうど、モボモガと呼ばれた当時のハイクラスな人々の行き交う姿がすぐ目に浮かんでくるようで、まるでこの時代を疑似体験しているような気持ちになりました。

 

〇特徴

デザイン様式とかにはまるで詳しくはないのですが、旧帝国ホテルと同様に、建物のあちこちにアールデコの装飾が多く見られます。一般に、マヤとかオリエントとか言われているらしいのですが(エジプトとか)、よくわかりません。ただ、様式美として本当に美しく、惹かれるものを感じます。自分がはじめてフランク・ロイド・ライトの名を知るのは大学1年生のときの授業で、そして最初にロイド建築に出会うのは卒業後就職して最初の出張で訪れたNYでのグッゲンハイム美術館。あの近未来的な建物に触れたあとで考えると、いったいどのような契機でライトの作風は変化していたったのだろうとは思いましたが、そのあたりは一度建築に詳しい人に聞いてみようかと思います。とにかく、甲子園ホテルにおいては模様タイルとボーダータイルの組み合わせがただただ見事です!。そして、弟子の遠藤は師匠のスタイルを忠実に真似するだけではなくて、独自の和洋折衷様式も取り入れていると思いました。この天井の格子や欄間をイメージした壁の作りなど。  

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 〇ホテルプロデューサー林愛作の理念

帝国ホテルと甲子園ホテル。見てすぐに気づくと思うのですが、両者の外観上の大きな特徴は「左右対称」になっていることです。このような左右対称になった建築物を見たとき、日本人ならすぐにイメージするのは宇治の平等院鳳凰堂だと思います。林愛作自身も、モティーフが平等院鳳凰堂であることを認めています。非常に感銘深いなと思うのは、日本が世界と向かい合い、世界に向けプレゼンスを高め駆け抜けていった近代というこの時代に、世界に通用するホテルをつくろうと奔走した林愛作その人が、「アイデンティティを日本に求めたこと」です。最初、林って人は洋行経験が豊富でその豊富な西洋知識からあくまで西洋におもねた、西洋風なホテルを作ろうとしたんだなと思っていました。ところが、今回実際に甲子園ホテルを見て、触って、歩いて、寝転んで(寝転んでません)感じたことは、ここは日本を感じられる場所だなということでした。水を使った、光を取り入れた、風の流れを感じるさまざまな空間演出に、お茶室(茶道)との共通性を感じました。これは体で、皮膚で感じるしかない。

林がこのホテルを通して発信しようとしていたものは、日本そのものであり、日本人の美意識なのではないかとも思いました。

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〇まとめ

(「センチメンタルトレイン」とはまったく関係のない話しになってしまいました。)この建物は、国の有形文化財、近代化産業遺産に登録されているだけではなく、いまも武庫川女子大学建築学科の校舎として、さらにオープンカレッジなど地域に住む人の生涯学習の場として、現役の校舎として活用されています。単なる歴史的建物として保存するのではなくて、社会に開かれた建築物として活用されています。そうしたところにも大変感銘を受けました。

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見学を終えて感動がじわじわとこみ上げてくる帰りの道で、ようやく我に返り「しまった、本間日陽ちゃんがどこにいたかチェックするの忘れた」と思い出して少し後悔をしたような次第なのですが、ほんとうに、時代を造ろうとする人の思い(林愛作)、クリエイターの思想や哲学(ライトと遠藤新)や息遣いまで感じ取ることができるような、久々に深い思索の淵に自分を持っていってくれるような甲子園ホテル、そして充実した時間を与えてくれた甲子園会館でした。ありがとうございました。              

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                    (だいせんせ)