ツアー雑感

2014年の全ツは全国を周りながら、大玉ころがしとかお水にドボンとかをやっていたわけです。囚われの身となったいくちゃんを救い出すためのショーなんですが、あの頃はまだ笑って見ていられる余裕があったのです笑。内容的には、ほぼ全編が口パクか被せによるもので、メドレーをバックにトロッコでお土産物を客席に投げ込むサービスなどがたくさんありました。それでも、当時は単純に嬉しかったからw、2014年ツアーには個人的にはものすごく満足をしていて、特に神宮での花火などはほんとうに感動しました。

ところが神宮後ほどなくして、各種メディアのインタビューでは、ほとんどのメンバーが「不十分な出来だった」との感想を語っていて、これには当時かなりショックを受けました。自分があれだけいいと思っていたライブが、実はメンバー的にはいまいちだったのかと。その頃の自分の解釈というのは、箱会場と異なりスタジアムではショー的要素は不可欠。後方席の観客に対するサービスとしてボール投げもトロッコも必要だからメドレーBGMのたれ流しは仕方のないこと。まして生歌なんて喉つぶれちゃう。くらいにしか思っていなかったわけです。また、アンダーライブの萌芽期でもあって、永島聖羅は「アンダーと選抜が別々に円陣を組んでいたり・・」ということもマイナス面として振り返っていました。全体としてまとまりに欠けていたのではないかと。みんな真面目さと向上心の塊だったわけですね。
ところが、2015年のツアーでは状況が一変します。お遊び的な要素が排除されて、トロッコやボール投げの回数もぐっと減ります。テレビ番組とのタイアップコーナーは(仕方なく)残ったものの、それでも前年に比べると音楽ライブとしての色が濃くなったと思います。「乃木坂らしさ」とは何か?を問い続けることがツアーの精神的柱になっていました。楽曲をひたすら歌って披露するまっすぐさが印象に残りました。生歌の比率が上がっていました。最後のコーナーはオーケストラの演奏によるものでした。

2014年と比べてここまでの変化をもたらしたものはアンダーライブだったと考えています。アンダーライブ2nd。生駒をはじめとしたメンバーが当時、アンダラに感動したとか刺激を受けた、といった旨のことをよくコメントしていたような記憶があります。アンダーライブ2ndのある種異様とも言える熱量とそれを生み出したライブパフォーマンス。それが乃木坂46全体に影響を与えることがなかったとはどうしても考えられないのです。余談になりますが、「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」の作曲者であられる三輪智也さんがご自身のプロフィール写真で着用しておられるシャツは、アンダーライブ2ndのTシャツです。ペアPV「愛の飛び蹴り」で井上小百合の兄役の俳優が学生服の下に来ているパーカーは、アンダーライブ2ndのパーカーで、かつ頃安監督の私物です笑。このような事例からも、アンダーライブ2ndの熱狂の伝播をうかがい知ることができますが、ただ、これですらほんの一部分の事柄でしかないのです。アンダーライブ2ndは乃木坂46のその後「ライブ」の方向性に大きな影響を与えたと思っています。

2015年の話しに戻りますが、「乃木坂らしさ」というコンセプトがしっかりしていて、メンバーが歌の練習もしっかりやっていること、打ち合わせや稽古とか、とにかく時間も手間もかけてライブが作り込まれていたことがよくわかるツアーでした。46SHOWで流れましたが、開演前になんと発声練習をしているではありませんか!(効果のほどは?ですが)声出しとか音取りにメンバーが意識を向けている姿がほんの少しでも見ることができて嬉しかったし、そこから生まれるものが良いものであることは間違いないです。2015年ツアーの成功は決して最後いくちゃんだけではなくて、全員で勝ち取ったものだと思います。

2016年ツアーは、2ndアルバムをコンセプトにしたものでした。赤と青のチームに分かれて、ユニットシャッフルのようなかたちで楽曲を披露していく。少し物足りなさを感じないでもなかったですが、それでも白石麻衣の「嫉妬の権利」、生田絵梨花斎藤ちはる、(思い出せません泣)らによる「私のために誰かのために」とか、印象に残るパフォーマンスがいくつもありました。あらためて乃木坂楽曲の輪郭、中味、良さの特徴、いろんな発見があった良いツアー、良いライブだったと思います。2014年に一期生と二期生・研究生がシャッフルされて行われた西日本選抜(大阪)と東日本選抜(名古屋)のライブを思い出しました。神宮がバスラ扱いになったことはちょっと微妙な面もありますが、おさらいのような感じで過去の曲を振り返ることができたり、印象がずいぶんと違って聞こえる曲のあったりで、やはり良かったなあと思っています。(例えば、齋藤飛鳥の成長が「海流の島よ」という曲自体をも成長させてしまったような感覚。曲は変わっていないのに、人が曲を名曲に変えてしまうかもしれない可能性とかについて)

2017年ツアーは、乃木坂人気がバブルとも言える状況下での開催で、個人仕事も外仕事も拡散するだけ拡散しきった状態で、十分な稽古や打ち合わせなどが出来ていないのではないでしょうか。自分は未見なのでここらへんは想像でしかないのですが・・・。ひめたんの卒業や北野の体調不良のニュースからなんとはなく暗いものを感じてしまう反面、一方で三期生は恒星のような光を発していて、このへんアンバランスというかアウトバランスのように感じなくもないし、一期生はとにかく徹底して忙しいし(例外あり)、アルバムを引っ提げたツアーをやるのであれば、もう少しアルバムのコンセプトとか全体の見せ方についての意識統一みたいなものが必要だったのではないのかなと。期生別のライブというのはよいアイデアではあるけれど、現状を反映した苦肉の策でもあるのかなと。とにかくそうしたものをすべて勘案して、結局は、音楽ライブというよりは歌謡ショーのようなイベントが生じてしまうのかなと思いました。またそれが新規ファンの求めたものであったのかもしれないし。
(これに今の欅坂46との対比が絡んできた場合は一層苦しい!)
(欅は欅で深刻な問題を抱えているかもしれませんが・・・)


自分としては、これから先もずっと、自分の一番好きなグループが乃木坂46であって欲しいし、たぶんそうなんじゃないかと思っているのですが、さかあむ~さんもお詳しいように、sora tob sakanaやアイドルネッサンスがバンドセットでやり始めたというのが、なにか新しい流れのようにも感じます。ただ、よくわかりませんが変拍子を売りにしているアイドルとか、何かやたらに高度というか専門的な方向に入っていってるアイドルというのも個人的にはちょっとしんどいのです。

自分個人は素直で単純なメロディーが好きなので、なおかつそこに力強さまで持っている杉山楽曲に代表されるような乃木坂46のイメージが一番好きです。今は戦線が伸びきってしまっていて、補給が十分ではないのだと思っています。伸びきった戦線はどこかで縮小されて再編されるのでは、とそんな期待をしています笑。メンバーの循環期を迎えている今、自分も不満や不安はあるものの、今少しい見守っていたい、そんな気持ちなのです。とりとめのない長文たいへん失礼しました。
                (だいせんせ)