もしも、ハロルド・メイがAKB48の社長になってくれたら

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AKB48紅白歌合戦に落選したという今日のニュース。

「別にいいじゃん」

と一瞬思ったけれど、心がどこかモヤモヤしてしまう。

坂道グループがすべて順当に選ばれているぶん、どうしても「時代の流れ」みたいな安易な言葉で括られてしまう。

「言いたい奴には言わせておけばいいさ」

とこれも一瞬思うのだけれど、やっぱり心がどこかモヤモヤしてしまう。

思わずまわってきた岡田奈々さんのツイートをリツイートしてしまう。

  

 

 「めっちゃ気になってるやん、俺!」

 

認めざるをえない(笑)。

 

そんな心の隙にふっ、と、

『いまハロルド・メイはどこでなにをやっているんだろう?』

みたいな妄想に憑りつかれてしまった今日の夜。

 

 

 〇はじめに

ハロルド・ジョージ・メイ氏については私なんかよりはるかによくご存じの方が大変多いので、まず最初に素人の横書きお許しください。

(著作も読んでおりませんペコリ)

もし氏についてよく知らないという方がいらっしゃったらググッていただければすぐにおわかりになると思います。

ちなみに私の中のプロレスはほぼ昭和です(笑)。

いちばん最後に現場で観たプロレスの試合は武藤対高田の東京ドームです。

(その日人生で最初の転職をした日なのです!1995.10.9)

現在のプロレスのことは詳しく存じ上げません。

NHKで放送された番組「ザ・ヒューマン」の録画は何度も繰り返し視聴しています(笑。

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〇話は逸れますが

自分がかつて品川で勤めていた外資(オランダ)企業では、当時副社長が日本コカ・コーラジョンソン・エンド・ジョンソンブランディングマーケティングを担ってきた方でした。

 

自分はその副社長からコカ・コーラの「1リットル瓶」誕生の話しを聞いたことがあります。それは1970年代、私が子どもだった頃の話し。

家の中で冷蔵庫を開ければコカ・コーラがある暮らし、というのはまだ当たり前ではなかった。高度経済成長と生活の洋式化というのがほぼイコールで、音楽も食事も文化も洋式化していくことが豊かさとほぼイコールだった頃。

 

70年代の日本の家庭における平均的な冷蔵庫の大きさって想像できますか?

もちろん今よりもずっと小さなもので、例えるなら現在の一人暮らし用くらいの大きさのものが、4人家族用くらいの大きさとして使われていた昭和40年代。

それまで、コカ・コーラとはお店で飲むものであったり、外の自動販売機で購入しその場で開栓して飲むものであったり(当時はまだ瓶詰飲料が主流)、家庭内での団らんや寛ぎの中には存在しない飲み物だった。そうした慣習の中に新しい価値やサービスを産みだしていく、重たくて大きくて扱いが通常と異なる1リットル瓶をどうやって流通や小売りに乗せていくか、回収は、などとにかくコカ・コーラネクストレベルに推し上げていく過程のお話しを興味深く聞かせていただいた記憶があります。

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そして時代は巡り、ハロルド・メイ氏も同社においてコカ・コーラ・ゼロという新しい商品を立ち上げたり、日本リーバでのリプトンブランドの普及と確立、サンスターでの時流に添った商品・サービスの確立、そしてタカラトミーでの業績回復など、NHKの番組の中でご自身も仰っていましたがほんとに「プロ経営者」だなと思います。

どうも自分の狭い実社会経験の中では、「プロ経営者」として外から招かれてきた人はたいてい短期で事業部門を育ててそれをすぐに転売しちゃう人ばっかりで、さらに酷い場合は利益の源泉の大半が削減した人件費!とかいう人もいたし、その当時のJウェルチ流とかなんとかいって(略)。

私の中のメイ氏のイメージはそうした売り抜け屋の経営者ではなくて、組織の中に革新的なサービスだったり、新しい価値を創造していく人というイメージ。

もちろん、これは自分の勝手な一方的なイメージですし、このたびの新日本プロレス退任について識者の方々にいろんな意見があることもファンブログ等で拝見いたしましたが、少なくとも、大幅な人員整理や提供するサービスの縮小や削減などを通じて利益や価値を産みだそうとする人では無かったように思います。経営とか難しいことはわかりませんが、プロレスというエンターテインメントの中に「日本固有の文化」を見出し、その日本文化を素晴らしいものである、優れたものである、としてそれをそのまま海外にまで持って行って普及させようとしていた、その一点において自分はメイ氏にどうしても共感を覚えてしまうのです。

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〇いまAKB48

 

良くも悪くも紅白歌合戦というイベントは等身大のそれ以上にいろんなものを象徴的に背負い過ぎていて、当選した場合には「時代に選ばれた!」的な大げさな受け止め方をされる一方、落選という報は「コンテンツの終焉」みたいな伝わり方をしていく部分がどうしてもある。みんな良いほうに乗っかりそれを宣伝にも使うわけで、悪いほうになったときはそれはそれで仕方のない面がある。

 

ほんとうは、AKB48SHOWが打ち切りになったときANNが終わったときに「一般社会」との接点は閉じられてしまったのかなと思う。

そして、NiziUの出場決定を聞いていっそう象徴的だなと思うのは、PRODUCE48と混ざり合ってしまったことで予定調和的な平穏が維持できなくなってしまったこと。いろんな意味で。例えばダンスと歌がアイドルのすべてではないと考える私ですが、あれを見ると否応なく歌とダンスがアイドルのすべてである、少なくとも最低限のスキルとして必須なものと思わざるを得ない。楽曲にしても、個人の好みとしていい曲だとか、悪い曲だとか、そういうレベルを超えていて両者を相対評価してAKBだっていいよね、みたいなことをもはや言えないレベル。

 

それでも、コンテンツとしての魅力は衰えつつあるかもしれないが、豊潤なコンテクストの魅力がまだあると(STU48に代表されるような)と思い直ししがみつくのだが、彼のプロデューサー氏(JYP)がまたその上をいくようなコンテクストを持ってくるからもはや太刀打ちできないと(涙)。

 

 

 

news.yahoo.co.jp

  

 

 NHKの番組「ザ・ヒューマン」を視聴して

 

番組中、試合が開始されているのにまだ会場の外で物販に長い行列ができていて、運営がうまく物販列をさばききれていない様子が映されていました。

その様子を見てメイ氏が、

 

「こういうところがまだウチの良くないところだ」

 

と述べます。

 

また、レスラーにSNSを積極的に活用するようすすめます。

棚橋選手は

 

「リング上でプロレスだけやっていればいいという時代ではない」

「レスラーっぽくないね、と言われることがある」

「プロレスを見たことのない人にアプローチしたい」

「プロレスに興味ない人にアプローチしたい」

 

と話しています。

番組の中随所で、もしも「プロレス」という言葉を「アイドル」に置き換えたらどうなんだろう?置き換えられるかな?そんなことを考えました。

 

 

〇日本の文化

 

そして、海外(アメリカ)に進出する際に、日本の道場システムをそのまま持ち込んで導入している様子も映し出されていました。

柴田勝頼(懐かしい)を現地のコーチとして置き、練習前の全員正座でのおじぎと挨拶、練習後のリングの雑巾がけ、寮での集団生活と食事、メイ氏が

 

「こういう中で生まれてくるものこそ日本のプロレスだ」

 

「私たちのプロレスは日本の文化を見せるものでもある」

 

と。

そして現地のファンが自宅でインタビューに応えてくれました。

その最後

 

「私は外国人ですが、プロレスを通じて日本とつながっています」

 

と。

どうしても「プロレス」を「アイドル」に置き換えて見てしまいがち(笑。

世界(この場合はWWEかな)と競合していく組織(グループ)になっていこうとするときに、自分たちが連綿として受け継いできたカルチャーを軸に据えているように思えて、際立ったアプローチだなと思いました。

 

〇いま一度、AKB48

2018年6月、ナゴヤドームで行われた総選挙を見に行きました。

その時の檀上での高橋朱里さんのスピーチが忘れられません。

一語一句正確なわけではありませんが記憶している範囲で

 

「どうしても過去の輝きと比較されてしまう」

 

「あとから出来るグループに目を奪われていってしまう」

 

「どうすれば前のファンの人たちは帰ってきてくれるだろう」

 

「どうすれば過去の輝きを取り戻せるだろう」

 

だいたいこのような内容だったと記憶しています。

 

gendai.ismedia.jp

 

すべてを見たわけではないですが、落選したことを謝るようなメンバーツイートもあったような気がします。(連続出場を)受け継げなくて申し訳ない、みたいな。

だけど自分としては、これまで自分たちがやってきたことをきちんと肯定的に捉えてほしいなと思います。

なにか得体のしれないものと闘って、「もしかしたら私たちは遅れをとっているのではないか?」「もしかしたら私たちの努力はまだ足りていないのではないか?」「方法は正しいのだろうか?」みたいな否定的な感情に陥ってほしくないなと思います。それこそまさに相対的な要素や諸事情で決まっていくことだと思うので。

 

先日放送された歌唱力の予選を二日間通して見ていたのですが、今またグループとして、個人としての新しい魅力に気づかされた二日間でした。新しく覚えたメンバーの名前、顏、所属。そしてSEPT×STU48公演『Selfish Amity's』の配信も見ました。これもとても面白くて魅力あふれるものでした。

 

いつも世間に対して物議を醸すかたちで話題(や人気)をさらっていく方法は飽きられたり呆れられたり対するのは当たり前だから、そういうことで落ちていく人気なら大いに結構なのだと思う。それに比べたら歌唱力とかSEPT公演などはまっとうすぎて(笑)地味なうえにも地味なんだけど僕は好きなんだな。ムラの中でしか通用しないことをやっていても意味ないよという声もあるけれど、それ「16人のプリンシパル」のときに同じことを言ってる人がいた。今を時めく女優となられた方々もみんな最初は「16人のプリンシパル」から始まったわけで。僕らが見てきたものっていうのは、常に目の前のことに真剣に取り組むメンバーの姿、ひたむきな姿勢なのであって、ただそれだけなのであって、アウトリーチたらなんちゃら小難しいようなことはマネジメントが偉かったんじゃないの?と乃木坂さんなんかを見てたら思うわけで。

 

 

あと、例えばK-POPとの比較の中で、ダメな部分について言う事は可能だとは思うけれど、一方でチェンマイジャカルタバンコク、マニラ(割とこの順番に拘りありw)の48のように、日本式のフォーマットを用いてそれが現地で受け入れられている例もあると思う(現地取材はしてませんが)。K-POPは世界を席巻しているけれど、世界のすべてがK-POPに染まっているわけでもない。日本的アプローチ(先のプロレスで言えば日本文化)が活きる、活かされるケースもある。だから単純化してはいけないと。

 

〇最後に

僕らは(僕は)、まだAKB48の良いところに気が付いていない、良い部分を見いだせていない。それを届けられずにいるままだ。AKB48はこれからまだまだ多くの人に楽しみとか感動を届けていくグループだと思います。

 

そして

 

 

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STU48の末永い活躍と成功をずっとずっと、心から祈っているのです。

どうかみなさんの活躍とがんばりが一人でも多くの人に届きますように。

 

 

                         (だいせんせ)

 

 

 

追記:「プロレス」を「アイドル」という言葉に置き換えるならば、

   『どんなジャンルもマニアが潰す』という金言も同時に

   アイドルにあてはめられなければならない。

   わが身に銘じたい。

 

 

 

 

コカ・コーラの1リットル瓶はたぶん失敗事例なのかもしれない。

 でも家の冷蔵庫にコーラがある状況になったときの文化的充足感

 はハンパないものであった。

 

〇メイ氏はアースの社外取締役らしい。

 赤穂にきやへんかな笑。

 

〇うちの兄に言わせると新日の海外戦略にはあれとのこと。

 (逆に自分はそれで成功なんだと思ったw)

 

〇東京ドーム2daysで7万人はすごい

 

〇子どもの頃、材木商の親戚が新日興行のスポンサーしてて

 猪木や坂口とごはんとか食べに行ってた。

 家にはサインがいっぱいあったのと、厚生会館での興行は

 リングサイドで見てた。永源(当時新日)のつばいっぱいw。

 

〇ダイナマイトキッドのサイン嬉しかった。

 ブラックキャットとバッドニュースアレンとジョージ高野の(略