「阪神がアサヒビールタイガースになったってほんとですか?!」

新疆ウイグル自治区の首都烏魯木斉(ウルムチ)から陸路吐魯番(トルファン)にはいり、宿に到着するなり居合わせた日本人から浴びせられた質問がこれ(笑)。唖然(笑)。シルクロードのオアシス都市トルファンでその当時外国人(主に欧米人と日本人)が集まっている宿といえばトルファン賓館であった。なぜ旅行者がトルファン賓館に溜まっていたか理由は簡単で、この宿には強力な武器「冷蔵庫」が備えられていたからである。もちろん各商店やきちんとしたホテルにも冷蔵庫があるにはあったが、実は電気が通っていなかったり、故障した際にそのまま放置されてたり、単なる収納庫になっていたり、ここまで10日ほど中国を旅していた私はこの時の中国という国のシステムというか社会の謎(?)を理解しつつあったので、灼熱の地トルファンでほんとの意味での「冷蔵庫」があるこの安宿を選択しない余地はなかった。

 

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1989年8月のトルファン賓館

砂漠の中のオアシス都市トルファン

灼熱の地ではあったが、葡萄棚の影で過ごすと涼しくて気持ちがよい。

乾いた風も心地よい。

この葡萄棚の下で多くの外国人が語らい、旅の情報交換、情報収集

をしていく。写真の奥、物置のように見えるのが冷蔵庫である。

みなビールや飲み物を買いここに入れて冷やす。命が回復する(笑)。

お店などで氷のはいった飲み物を提供されることもあるが氷は

超危険!

そして街の市場では水売りの屋台があり、この屋台の水を飲めば

絶対にお腹こわすよって屋台があった。トライした旅行者は

全員下痢をしたとか。そうした情報がほんとに有難かったw。

 

 

 

 

 

前段の彼が私になぜこのような質問をしたのか?これもこの時代の中国であり、北京や上海などの大都会以外の大陸を旅することは、まして大シルクロードを旅することはまだ多分に冒険であった時代なのだ。

 

インターネットのような情報通信がまだ一般にはなかった1989年、インターネットどころか通常の電話回線さえ未整備だったこの時、旅人は皆、情報の入手には苦労した。ガイド本に掲載されている情報が信頼性がとても低く(〇球の歩き方は〇球の騙し方などど揶揄もあれていた)、交通手段の確保もままならず、社会のあらゆる場面でルールやシステムがわりと適当で、とくかく正確な情報から遮断され、自然の成り行きからバックパッカー同士の情報交換の中から皆自分自身のガイドブックを作り上げていく。そういう頃だった。

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ベゼクリク石窟

 

 

阪神アサヒビールタイガースになったってほんとですか」と尋ねてきた彼がいったいどれくらい日本を離れていたかはわからないが、旅先でいろいろ飛び交う噂話のひとつだったのだろう。誰にも確かめようがない(笑)。自分は「私が鑑真号にのったのが7月末ですがその時はまだ阪神でした」ととりあえず答えた。まあその当時の阪神はちょっとあれだったのでどこにいようが彼の心配は尽きなかっただろうとも思うごめんよ。

 

神戸から鑑真号にのり3日かけて上海へ。そこから北京を目指したが天安門事件の影響で外国人の入境は許されず、この入境できるか否かについてもさまざまな噂話が飛び交っていた。バックパッカーの聖地、浦江飯店で嘘かほんとかわからない話しを聞きかじっては無為の日々を過ごしていた自分。どうすべきか暫し考えたのち、ヘディンの小説『シルクロード』の面白さに魅かれていたので、とりあえずシルクロードへの旅に大きく予定変更をした。なぜ最初に北京を目指したのかというと、その時はほんとわりと真面目に天安門広場の学生たちと連帯しようと思っていたのである(アホ)。

 

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聖地!浦江飯店

自分は通算5回浦江飯店に泊まっているが、一階の大広間のようなスペースは最初訪れた時にはダンスホールか社交場みたいだった。次に来た

ときには土産物売り場?みたいな感じだった。その次きた時には

証券取引所(商品取引所かも)になってた。中国が社会主義市場

経済に舵をきって、社会も大きく変化をしてゆき、そうした変化

(混乱を含む)がすごく感じられる場所でもあった。

この歴史遺産がなくなったことはほんとに寂しい

 

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黄浦江もまだこんなだったのだ

 

空路烏魯木斉に入り、ここではバックパッカーのコミュニティーが見つけられなかったので(有用な情報が得られない)、陸路トルファンにはいった。そしてタイトルとなった最初の質問を受けたのである。

 

ついでに、国際電話の事情について話しておくと、この時のトルファンの場合、国際電話がかけられる場所は街の郵便局ただ一か所。まず申請書を書いて申し込みをする。別室のような場所に案内され待たされる。ひたすら待たされる。回線を各都市から都市につないでいくようで、信じられないくらいに時間がかかる。ここで待と言われてからおよそ3時間のちにようやく日本の家と通話ができた。まあ3分くらいだったか。それでも料金は日本円に直して数千円、相当な高額を支払った記憶がある。トルファン賓館の宿代が200円か300円くらいで、食事は市場で適当に麺やら羊肉たべて酒飲んでも100円か200円くらい。たぶん1日600円~800円程度で過ごしていたと思う。とんでもない高額な消費であるし、この時を最後に私は日本への定期連絡をやめた。時間とお金の無駄である。

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街の市場(バザール)でナンを売る女の子

ナンとシシカバブ露店はいたるところにある。

美味しい美味しくないの違いは当然ある。

美味しいか美味しくないかは別として自分は毎日この子のナン

を買って食べた(笑)。

2枚で5角(ウーマオ)だったような記憶

 

 

たぶんみんなこうして旅に没頭していったのであろうか?それまでの生活とのあらゆる繋がり、大学のこと、バイトのこと、自分が音楽の道に進めなかったこと、何をやってもダメだったこと、いろんなしがらみから一時的に強制的に遮断される。あるのはその日をどうやって過ごすかだけ。あと明日はどうするか。ほんと先のこととかあまり考えられなくなる。沈没。

 

ちなみに、トルファンでの主要な交通手段、移動/運搬手段はロバ車である。タクシーもトラックも自家用車も乗合バスも基本すべてロバ車である。ロバ、かわいいがちょっと性悪なとこあるんだな。

トルファン賓館の前には客待ちのタクシー(ロバ車)の少年がわらわらといて、このうちの一人、アビブという少年と懇意になる。実はその中でウイグル族をめぐる諸事情についていろいろと考えさせられたり少なくないショックを受けることともなる。

機会があればまた。

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トルファンのありふれた光景

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街角

 

 

 

昔を思い出す。

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どこで撮ったのか思い出せない  (髪の毛!)

 

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街歩きの中で、水売り屋さんは危険なので水分はメロンやスイカから摂る