舞台「嫌われ松子の一生」レビュー
メイさんから観劇レビューを寄稿いただきました。
とても細やかな視点で観察されていて、自分でも気づいていなかったことがたくさんあり、大変参考になるレビューでした。このお芝居はいろんな意味で衝撃的でした。観劇後、なぜかどっと疲れが・・・。もちろん感動しているのだけど、混乱もしていて・・・。ちょっと感想を言葉にするのが難しいと今でも思っています。
メイさんのレビューを読んで、またあの曲が頭に浮かんできて・・・。
(だいせんせ)
〇「嫌われ松子の一生」レビュー
昨年8月、通勤途中の時間潰しに「乃木仮めんばー」のまとめ記事を確認していたら、私にとって衝撃的なニュースが目に飛び込んできました。
「桜井玲香×若月佑美Wキャスト主演!舞台『嫌われ松子の一生』の川尻松子役に挑戦!」
…なんですって?自分の中の推しメン、玲香ちゃんと若さまの2人がWキャスト、しかも主演ですって?さらに『嫌われ松子の一生』は映画化もされた有名なストーリーでそれを「赤い熱情編」と「黒い孤独編」と二種類の演出で上演するなんて・・・。今までも乃木坂ちゃんが出演する舞台は出来る限り観に行きましたが、これは、これは絶対に行かねば!
幸運なことに千秋楽間近の4公演のチケットを入手することができ、「赤い熱情編」と「黒い孤独編」を2回ずつ鑑賞しました。その4公演を鑑賞して感じたこと、気づいたことを自分なりにまとめてみました。4公演観た限りのレビューなので「自分が観たときと違うよー?」と思われることがあるかもしれませんが、御了承下さい。
なお、このレビュー中では、玲香ちゃんが演じた松子を「赤松子」、若さまが演じた松子を「黒松子」と表記します。普通の「松子」のときは二人ともを表しています。
【「嫌われ松子の一生」あらすじ(公演パンフレットより)】
中学教師だった川尻松子は、教え子の龍洋一が起こした窃盗事件をきっかけに職を追われ、家族とのいざこざからも家を飛び出し故郷から失踪してしまう。そこから彼女の激動の人生が始まった!
太宰治の生まれ変わりと信じ、文学に生きようとするも結果を残せず生きることに苦悩する男・八女川徹也、八女川の友人で彼に嫉妬する男・岡野武雄、松子が働く風俗店のマネージャーで不器用な男・赤木、その店の常連で、その後マネージャー兼ボディーガードとして松子と組んだ快楽主義の男・小野寺保、理容室を営んでいる平凡な男・島津賢治。
愛に生きた女性・松子と、彼女を通り過ぎていった男たちとの愛憎劇-。
【二種類の演出「赤い熱情編」と「黒い孤独編」】
主演の女優がWキャストで、主演ごとに演出を変える…。どんなことをするのか、記事を読んだときはあまりピンときませんでした。台詞やストーリー展開を大きく変化させると主演以外の出演者が大変そうだし、かといって大きな違いがなければ演出を分ける意味なんてないし。どんな舞台になるのか興味津々でした。
鑑賞してみて分かったことは、2つの演出でストーリー展開に違いはなく、台詞もその時の流れで多少言い回しが異なるときはありましたが、台詞の中身は変わりませんでした。大きな違いは、舞台の装飾や装置と松子の衣装でした。
今回の会場だった品川プリンスホテルのクラブeXは円形の舞台になっていて、その周りを観客席がぐるっと囲んでいます。舞台の正面奥には大きな階段、その上に重厚な壁が設置されおり、その壁の上部に和服を着た松子の肖像画が掲げられています。
玲香ちゃんが出演していた「赤い熱情編」では、舞台上の壁に右上から左下に流れるように赤・ピンク・白の花をふんだんに使った大きな飾りが付けられていました。薄暗い会場の中でその部分だけほのかに明るく感じられるくらいの華やかな飾りです。舞台の左右には大きなモニターが設置されており、オープニングでのキャスト紹介や場面が展開するときに説明の映像(独特な雰囲気のアニメーション)が流れました。(「赤い熱情編」でも「黒い孤独編」でも、場面が展開するときは「昭和五十八年 三十六歳 銀座」というように、その場面の年代・松子の年齢・場所が示されます。)
途中一回だけダンスシーンがあるのですが、ここでも天井のモニターが降りてきて踊る赤松子をクローズアップします。
松子の衣装は全体的なコーディネイトは赤松子も黒松子も同じですが、例えば、赤松子はピンクのカーディガンにこげ茶色のスカートとか、トルコ嬢時代に着ている着物も赤、というように暖色系が多く可愛らしく色合いでした。
一方、若さまが出演していた「黒い孤独編」では舞台正面の花飾りはなく、左右のモニターもありません。代わりにあったのは、薄汚れた複数の垂幕。それぞれに「昭和五十八年 三十六歳 銀座」という文字が書き殴った様な毛筆体で書かれていました。演者がその場面を示す垂幕を引っ張り天井から落とすことで、場面が展開したことを示します。また、オープニングのキャスト紹介は、倉橋ヨエコさんの「電話」という曲が流れる中、松子以外の演者が全員舞台に駆け上がってきて、それぞれのキャラクター性や印象を示す動きを見せます。最後に舞台奥の階段から黒松子が現れ、曲が終わると舞台上には黒松子と赤木マネージャー(なだぎ武さんが演じるトルコ風呂店のマネージャー)だけが残り、物語が進んでいきます。
また、途中のダンスシーンでも、天井のモニターは使用されませんでした。
黒松子の衣装は白のカーディガンに紺のスカート、トルコ嬢時代の着物は黒、というようにモノトーンで落ち着いた色合いが多かったです。
こういった点で比べてみると、「赤い熱情編」の演出は映像に関する舞台装置を多用して現代的な印象を受けました。一方、「黒い孤独編」はアナログであか抜けていない印象がありました。どちらもそれぞれの良さがあり、それぞれの松子の世界を表していたと思います。松子の衣装に関しては「赤」と「黒」の違いを端的に表現するものだったのだろうと思っています。
個人的な好みとしては、物語の舞台が主に昭和時代(昭和46年から平成13年、クライマックスは昭和58年)だったので、「黒い孤独編」の演出が物語にマッチしているように感じました。
【赤松子と黒松子】
さて、Wキャストということですから、一人の「川尻松子」を二人の女優がどう演じるのかということも楽しみでした。
先ほども述べたように、赤松子と黒松子は衣装が異なるので、まずそこで受ける印象が少し異なります。
また、台詞の中身は変わりませんが、それぞれの表現の仕方があり、ここでも松子に対する印象が変わります。
例えば、トルコ風呂で採用面接を受けているときの松子の台詞です。生徒が松子に窃盗容疑を被せようとしたことについて、なんでそんな事になったのかと松子が赤木マネージャーに説明しているくだりです。
「パニックになって、頭がうわっとなって、自分でも思ってもなかったようなこと言ってしまうことがあると思うんです。」
言い訳がましく説明をするシーンなので赤松子も黒松子も早口で一生懸命まくしたてるのですが、赤松子は「うわっとなって」のところで「うわーぁ」っと大きく両手を広げます(高山一実さんのアメイジングポーズみたいな感じです。)。一方、黒松子は胸の前で両手を広げるくらいのアクションです。このように、赤松子の方がアクションが大きいんですね。そこに二人の声質の違いが相まって、全く別の松子になります。赤松子はどの年代においても「年齢の割に可愛らしい女性」、黒松子は「20代の頃は年齢の割に大人びた女性、30代以降は年齢相応の落ち着いた美しい女性」という印象を受けました。
また、松子が誰かと緊迫して対峙する場面。例えば、徹也に別れ話を切り出された場面や龍君と再会し、愛を告白される場面です。赤松子は相手との物理的な距離を縮めて対峙します。「どうして!?」と詰め寄る感じです。黒松子は「どうして…?」と相手と一定の距離を保ち、最後に相手に歩み寄ります。
龍君との再会の場面では雨が降っているという設定で、二人は傘をさして舞台の周りを歩きます。黒松子のときは、最後に黒松子が龍君の愛を受け入れて抱き合うまで常に離れて会話をしていたのですが、赤松子は会話の最中で傘を下してしまったことがありました。雨が降っているのですから、龍君は赤松子が濡れてしまわないように、駆け寄って自分の傘の中に入れます。そして、そのまま会話を続けていきます。
ここで感じたことは、赤松子は直感で一気に突っ走っていくタイプ、黒松子は慎重で臆病だけれども、一旦決断してしまうと迷いながらも突っ走ってしまうタイプなのかなと思いました。
赤松子は何か迷っても、きっと悩んでいる時間は黒松子より短いと思います。情熱をもって一気に突っ走るから、だから道を誤る。黒松子はしっかり「本当にこれでいいのか」と迷う。だけど、孤独だから誰にも相談しない(相談できない)。迷いに迷って、そして最後に決断を誤る。
劇中、徹也の台詞でこのようなものがありました。
「これと決めて右に曲がるのも、迷いながら右に曲がるのも結論は同じ。運命なのです。」
この台詞が二人の松子の個性を表現しているように思いました。Wキャストとはいえ、これほどまでにそれぞれの松子に対する印象が変わると思っていなかったので、二人の演技や表現力、二人を支えた6名の共演者の皆さんや演出家の方に感心するばかりでした。
同じ女性として松子の生き方は肯定できるものではありません。「愛が深かったから」とか「真っ直ぐに生きたから」とか美しい言葉かもしれないけど、だからといってあんなボロボロになる必要はないのですから。
もし、松子が自分の友人だったら、姉だったら、妹だったら、娘だったら。頬っぺたひっぱたいて「頼むから目を覚まして。もっと自分を大事にして。」と必死で止めます。
けどきっと止まってくれないんだろうな…。
孤独に年老いた、松子の叫び。
「馬鹿な女だろ!笑えよ!馬鹿な女だって笑えよ!…誰か笑ってよ…。」
馬鹿な女だと思いました。でも嘲笑ったりしない。
馬鹿な人だけど、他人に対して誠実な人であることはわかったから。
殺人を犯し逃亡中に入水自殺を図ろうとしたとき、手を差し伸べてくれた島津さんに名前を聞かれた松子は、トルコ嬢時代の源氏名を名乗ろうしたけど本名で答えました。自分と向き合ってくれた人に「嘘をついちゃいけない」と思ったんでしょう。結果としてそれが彼をひどく傷つけることになってしまったけど。
松子がいまわの際に最後の恋人である龍くんに抱擁される幻をみながら眠りについたと願ってやみません。
「もう誰も信じないって決めたの。」という心を溶かしながら「龍くん、お帰り。」と彼を赦し、穏やかな気持ちで命を終えたと思わなければ、辛すぎます。
ラストシーン。「ただいま、松子。」と松子の骨壺を抱きしめる龍くん。
骨になってしまった松子は、静かに愛を与えてくれるだろうけど、生身の心と身体で彼に激しく愛を求めることはない。龍くんは迫り来る大きな愛におののくことはない。ずっと穏やかな松子の側にいられる。
ずるいよ龍くん。その一言、13年遅すぎる。今じゃなくてあのとき、あなたが刑務所から出てきたそのときに、「ただいま、松子」と言ってくれていたら、松子はあんな惨めな最期を迎えずにすんだのに。
…と思って観てたら悔しくて泣いてしまいました
一人の女性の30年間を2時間で駆け抜けた、濃密な一時でした。
【最後に】
「嫌われ松子の一生」上演期間中に京都で個別握手会が開催され、玲香ちゃんと若さまに会いに行くことができました。私が観劇に行く直前の握手会で、二人とも喉の調子をセーブするためか小声での会話になりました。二人ともただでさえ華奢で細いのに「大丈夫!?」と思うほど痩せていましたが、その言葉はぐっと堪えたことを覚えています。
今回の舞台は観に行く前からとても楽しみにしていたのですが、不安もありました。主人公がトルコ嬢(風俗嬢)になってしまうという設定の愛憎劇。多少のラブシーンがあるだろうと覚悟はしていましたが、話題性のために必要以上に過激なシーンや下品な演出になっていたら嫌だなと思っていました。もちろん、相手の男性と激しく抱き合うシーンはありましたし、男女の営みがあったとわかる場面もありましたが、決して下品でも過激でもなく、演者のちょっとした台詞や仕草で表現されているものでした。美しく、そして大胆に男女の愛憎劇が展開されていました。素晴らしい舞台だと強く思いました。
私は乃木坂ちゃんが出演している舞台を何度か観劇していますが、実は、乃木坂ちゃんと出会うまでは舞台演劇の鑑賞に行ったことは、本当に数えるほどしかありませんでした。演技が上手いとはどういうことか、というのもうまく説明できません。けど、上演が終了した後に玲香ちゃんがブログに記載していたことが印象的でした。
「自分なりに考えて練りつつも感情や直感を優先させて芝居をしていたがために、時には、松子ではなく、竹子や梅子など別人が降臨してしまうことが度々あったそうで。」
「共演者の方々がそれに付き合い、時には軌道修正をしてくれることで、最後まで松子として生かしてくれた。」(2016.10.12のブログより抜粋)
長期間、自分とは全く違う人物になり、人格がぶれることのないようにその人物の感情を表現し続ける…。その難しさを物語っている一文でした。この作業をしっかりするということが「演技」なんだと、二人はこんな難しいことに挑んでいたんだと理解することが出来ました。
以上で、私の「嫌われ松子の一生」に関するレビューとさせていただきます。
とりとめのない文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
乃木坂ちゃんが出演する舞台を観に行くことで、「こんな素敵な俳優さんがいるんだ!」とか「このストーリー面白い!原作も読んでみよう!」とか、乃木坂ちゃん以外の何かで面白いことや新しいことを発見することが多く、小さなことですが、自分の中で新しい世界が広がる感覚がとても楽しいです。今年も乃木坂ちゃんが舞台の世界でチャレンジを続けるので、出来る限り観劇にいこうと思っています!
(ライター:メイ)